コラム記事
最終更新日:2026年3月27日
鍼は痛くないと誰が言った
実は、「鍼は痛くない」というのは大嘘です。なぜかというと、「身体に鍼が入るのだから痛くないわけがない」からです。これを、「技術でなんとか出来る」という声もありますが、痛みと言うのは「主観的な表現(いわゆる本人の感じ方次第)」なのです。そのため、いくら痛みを軽減しても「必ず痛いと感じる人がいる」というのが真実です。
たとえば、施術前のアルコール綿による皮膚清拭の段階で「いま刺した鍼が痛い」と訴える方もいます。反対に、一定の鍼刺激をほとんど気にされない方もいます。このように、刺激の受け取り方には大きな個人差があります。
では、「痛みがあるといけないのか?」ということです。私は、必ずしもそうは思いません。もちろん、無意味に強い痛みを出す必要はありません。痛みが少ないに越したことはないですし、施術者はできるだけ不快感を減らす努力をすべきです。そこは当然です。ただ一方で、「少しでも痛みがあったらダメ」という考え方も、かなり乱暴です。
なぜなら、「痛みの有無と、良い施術かどうかはイコールではない」ということです。痛くないから優れているとも限らないですし、少し痛かったから雑とも限らないわけです。ここを単純化しすぎると、本質を見失いやすくなります。
大切なのは、①その痛みがどの程度なのか、②患者さんが受け入れられる範囲なのか、③その刺激に意味があるのかこの3点です。とくに重要なのは③の「その刺激に意味があるのか」です。なぜなら、鍼を受ける目的そのものに関わるからです。
一部の鍼を受ける人は、「リラクゼーションのような心地良いもの」を期待していることがあります。たしかに、リラクゼーションのように「施術で気持ちよくなること」が目的であれば、極力痛みもなく、むしろ心地よい刺激が向いていると言えます。こういう場合は、鍼よりもリラクゼーションのほうが合っています。鍼を刺すこと自体がミスマッチと言えるかもしれません。
仮に、鍼施術を受ける目的や動機が「痛みのコントロール」であったり、「症状の軽減」のように課題解決を目的とする場合、目的にあった鍼施術が必要不可欠です。鍼施術は、病態・体質に合わせた刺激が重要です。例えば、「力が入らないような麻痺(弛緩性麻痺)」には比較的強い刺激である「瀉法(しゃほう)」が必要です。理由は、余分な物が正常な経絡の流れを邪魔しているため、これを瀉すことが治療原則となるからです。
仮に、弛緩性麻痺に対して、過度に愛護的な刺激を行った場合、鍼施術自体は行ったことにはなりますが、刺激が足らずに本来期待できる効果は得られない可能性が高まります。したがって、必要に応じた刺激することは、ことさらに痛みを与えようというわけではないのです。
このように、「痛みがない」というのは理想ではありますが、「何が目的なのか」、「リスクとベネフィット(利益)」を考慮した運用が重要となります。痛みはなかったけれど、何もならなかったというのが一番避けるべきところです。
私は正直に「鍼刺激は一定の刺激がある。」と伝えます。このほうが、よほど誠実で、臨床的な表現だと思っています。耳障りのいい言葉で安心させることよりも、実際に起こりうることを正直に説明したうえで、その人に合わせた丁寧な施術を行うことが大切と考えています。
さいごに、そもそも鍼刺激の入力は、痛覚を伝える神経系と一部で重なっています。そのため、鍼によって痛みが生じうることは、神経生理学的にも不自然ではありません。
また、「得気(とくき/とっき)」という刺激の概念は、古くから重視されてきたものです。『黄帝内経霊枢』九鍼十二原篇第一には、「刺之要、氣至而有效(刺鍼の要点は、気が至ってはじめて効果が現れる)」とあります。つまり、鍼は単に「痛くないことだけを理想とするものではなく、一定の反応や刺激を伴うもの」として古くから理解されていたのです。
そのため、鍼灸師の私には「鍼は痛くない」と誰が言ったのか、不思議でなりません。もちろん、注射針よりも細い鍼が、耐えがたいほど痛いというわけではありません。